私が走る理由


筋肉痛も3日目にして完治。
足のハリは、ストレッチで徐々にほぐしていけばいいかな。今週末にはまた走れそう。

私が走り出したのにはいろんな理由がある。

自分の体のため。
治療をスムーズに進めるため。
治療に伴うストレスを解消するため。
息子に何か気づいて欲しいから。

まぁ、自分の体は自分でなんとかするしかないわけで、最初はウォーキングから始めました。でも、ただ目標もなくぽくぽく歩き続けるのはちょっとシンドイ。ひと月くらいで飽きてしまった。継続するにはどうしたらいいか。悩んだ結果、知人たちが走っているのを見て「目標を決めれば続けられるかも」と思い出す。それが去年の冬の話。

4つめの理由。息子のこと。

息子は、できなさそうなことは挑戦しない、怖いことはやらない、とにかく何に対しても慎重な性格で。私は真逆な性格なので、歯がゆい気持ちを持っていたのは事実ですが、それは個性なのだからまぁ、そのうち変わればいいかとのんびり構えてました。それが去年の春、珍しく自分から体操クラブに入りたいと言い出した。理由は単純、クラスで仲良しの男の子が始めたから。そして体操クラブに入ってから少しずつ積極的になってきて。もともと真面目ということもあり、「毎日やらないと上手にならないんだ」と、泣きながらでも毎日家で練習をしていました。子供の能力はすばらしく、大人と違って雑念がないからかもしれませんが、練習した分だけ上手になるのです。夏を過ぎた頃から、「もしかしたらやれば自分もできるかもしれない?」と自信が付き始めたようでした。あ、これは少し息子も変われるかもしれないな、と私も思いました。

ちょうどその頃、私もマラソン大会に出たり、ぼちぼちトレーニングをしたりしていたので、それも刺激になったようでした。息子が体操をやる上で、母も練習してる、練習したから走れるようになったんだよ、練習はウソをつかないんだよ、ということを私はわかってもらいたかったんです。息子は時々「今日は走ったのかい?」と聞いてきます。私は「次のマラソン大会が○月だからねぇ、ちゃんと練習しないとゴールでバンザイできないからね、今日も走ったよ。」と返事をします。

大人があれやれこれやれと口だけ出しても説得力ないし、嫌になるだけかな、と私は思う。私の亡き母はものすごく強烈な教育ママで、「私のDNAを受け継いでいるのだからできないはずはない」とはっきり言っちゃう人でした。そんなことを平然と言えるくらいなので、私に対する要求がものすごくて日々それがプレッシャー・・・。でも子供ながらにわかっていたのは、母は私にいろんなことを言えるだけの能力を持っていたということ。また、厳しいだけではなく、テニスがやりたいと私が言えば、母も一緒にテニス教室を習い、英語ができないと言えば、夕方の忙しい時間にラジオ講座につきあってくれた。一緒に頑張ってくれたんですよね。そんなことを思い出しながら、去年の春頃から息子に向き合っています。息子と私は別の人格だと思っているので「私と同じ位の能力を持ち合わせているはず」なんてことは、私自身が言われて微妙な気持ちだったので絶対言いませんけど(というか、私はスゴいんだ!なんて言える身分ではありません・・・)。

今週末は息子は80mで初めての大会。私は5kmに距離を縮めたものの制限時間がかなり厳しいんですが、足切りにあわないようになんとか頑張ってきます。優しい息子は、足の痛いのがちゃんとなおってから練習すればいいんじゃないの。と言ってくれるので、今日明日はお休みをいただいて、金曜日からぼちぼちトレーニングを始めようと思います。

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